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 つれづれと近況報告。

もう10月も25日かぁ。気がつけば、10月もあと一週間ないんですね。

この1ヶ月と半分くらいの間、愛知県の実家と東京の自宅とを行ったり来たりしていました。地元の愛知県蒲郡市で開催される三谷祭に参加するためです。1ヶ月前からこちらに来ていたのは、毎晩練習があったからですね。行ったり来たりしていたとはいえ、生活の拠点は実家でした。東京の滞在も練習に支障が出ないよう短く、しかしながら大学での用事は済ませることができるよう効率よく、考え入念にくまれたスケジュールで(お金も節約しながら)動いていました。

こちらでの滞在中は、お祭りの練習や準備を通じて、様々な再会と出会いを経験しました。大学進学前に面倒を見てもらった先輩方と、今回新しく出会った後輩たち、さらにもうお祭りを仕切る立場になった同年です。久しぶりにみなさんとお話しできたこと、後輩たちとも仲良く接してもらえたこと、そして、長い間があいてしまったにも関わらず、お祭りへの参加を受け入れてくれたことに感謝したいと思います。そして個人的には、以前よりもお祭り関係の仕事を多く任され、それぞれの仕事をこなすうちに、お祭りと地元のみなさんとのつながりの太さを実感したのでした。やっぱりお祭りは地元の人に支えられているからこそ、続けていけるんだなと思いました。

大学に入ってから、いや、生まれてこの方、このような短期間で、何度も東京と実家を往復したことはありませんでした。正直、とても大変でした。何度も往復をしながら、自分は将来、果たして地元に軸足を置いて生活していくべきなのか、東京を拠点に生活をしていくべきなのか、深く考えました。私は東京の人なのか、地元の人なのか。

確かにやっぱり地元には愛着もあるし、昔から知っている人・もの・こと、慣れた町での生活、そして(そのほとんどは家業のおかげですが)人脈もあります。しかしながら、どの人も自分が東京の大学に進学していることを知っているし、帰ってきて就職すると思っている人も多くない。「今度はいつ帰るんだ?」という会話は、実際とてもたくさんのシチュエーションで交わされます。いま現状はやっぱりそういう扱いなのです。ましてや、父親ほど地元には顔が利かないので、地元に拠点を置いて生活していくことは、思ったほどそう簡単でもなさそうです。

一方で、大学に入ってから築き上げた自分を取りまく人脈のつながりは、完全に東京を(大学を)基点にしています。東京に出てきて6年目。毎日の充実した生活の中で、かなり東京での生活にも慣れたし、東京では愛着はあこがれになり、将来はどこどこに住みたいという理想も持つようになりました。就職しても、最初の数年は地方に行くことになるとしても、いずれ東京に戻ってくることですし、そうしたときに、大学に入ってから築いた関係は大いに活かされることでしょうし、続いてもいくことでしょう。

どうしたらいいんでしょうね?そんなことをひまに任せて考えていました。たぶんきっと、将来もずっと同じような悩みを抱え考えながら、実家と東京と、あるいはまたその他の町を行ったり来たりしつつ、生活していくことになるのでしょう。

ちなみに父親は、東京の大学に通い、東京で就職・結婚しましたが、私の祖母が体調を崩したことを機に、地元に戻りました。以来、ずっとこちらで生活しています(私はその時2才でした)。おそらくはじめは、地元で暮らすことをあまり考えていなかったのでしょう。父親の仕事は百貨店の貿易部。海外に出張に行くこともしばしばでした。いわゆる「サラリーマン」を絵に描いたような父親だと(私は勝手に)思っていますし、当時は自分の仕事を最優先して生活していたんじゃないかなあと思います。当然、実家に帰ることなんて(たぶん少なくとも子どもが大きくなるまでは)考えていなかっただろうと思います。そして、私がもしそのような環境で育っていたら、きっと蒲郡は「父親の実家」程度の存在感しか持たないものだっただろうと思います。

ですが、実家に戻ってくることになってしまい、結果的にいまは地元に完全に軸足を置いた生活をしています。仕事もおそらくほとんど全てが地元です。父親も私と同様、おそらく東京に行ってしまった人として、地元の人から見られていたんでしょうけれども、こうして地元に帰ってきて生活をはじめ、また人脈を再構築していったんだと思います。20年以上にも及ぶ積み重ねが今につながっているんだと思います。ちなみに今、東京に行くのは年に1回くらい。

そう考えると、人生どうなるものかわかりません。自分の夢に向かって、順風満帆に行けるわけでもありませんし、努力は惜しまずに挑戦していきたいとは思いますが、きっと抗えないこともたくさんあるのでしょう。父親のこれまでを改めて振り返ってみて考えてみると、きっと最初は望まなかったであろう地元での生活を結果的には受けいれ、受けいれるだけでなく、ある意味では覚悟を決めて、逆にしっかりと地元に根を張った生活をこれまでに築き上げてきている、この決意と熱意かな、やっぱりすごいなあと思います。自分と同じように東京で大学に通い東京で就職した父親にも、当然東京の人脈はあったことだろうとは思いますが、今はその話は聞くことがほとんどないので、きっと交流は続いていないんだろうとは思います。

私自身は、やはりそこに、東京で生活をしたいと思う源泉があるんだと思います。つまり、地元に帰ってきてしまうと、せっかく東京で築き上げた様々な人脈があまり活かされないばかりか、どんどん衰退していってしまうのではないか、と考えてしまうわけです。やっぱりどうしても東京の人脈が、もったいないと思えてしまいます。今回、東京と実家を往復して実感したことなのですが、いくら東京と名古屋が近いとはいえ、費用と決心がつかないうちはなかなか簡単には東京に行けないのが現実なのです。(費用は1往復2万円です。)その上、あまり地元には基盤がないとしたら、よっぽど東京の方が暮らしやすいとすら思えてきます。

まあでも、いま働いている様々な同級生を見てみると、少し些細なことで悩みすぎなのかもしれませんね。最初の赴任先である地方で長く働く人もいますし、地方から東京に頻繁に顔を出す人もいますし、東京にほとんど戻ってこない人もいます。それぞれそれぞれ。別にその時その時で、うまく考えてやっていけるならそれでもいっかなって気もします。

まぁでも、少なくとも、明日から半年はおそらくずっとほとんど東京なので、東京のみなさんはぜひ飲みましょう( ̄ー ̄)ニヤリッ

コメント

同じ地方出身者として共感する内容の日記ですね。

今でも、愛着があるのは、地元だと思うんですけど、既に生活の基盤は東京。いまさら、地元に戻っても、生活しにくいのが現実なんですよね。仕事にしろ、近所づきあいにしろ。

また、機会があったら語りましょう♪

私は、余程の事がない限り、東京を基盤に今後生活していく予定です。

俺は、正直、三島での監獄生活を除いて、まともな一人暮らしをしたことないから、ふじたさんの今回の日記は新鮮な見方ですわ。

人脈って自分が置かれてる状況によって変化しまくるような気がする。入社して半年たって、感じるのは学生時代の友達とはやはり相当疎遠になります。
結局は東京にいたとしても、新しい環境に放り投げられると、またゼロから人脈を作っていかないといけませんからね。

少なくとも月から金まで朝から夕方まで会社にいる以上、その時間は接するのは会社の人だけですし。
飲みに行くにせよ、会社の人が圧倒的に多いし。

だからこそ、学生時代の友人はたとえ関係が疎遠になろうが途絶えることなく、細く長く続けて生きたいと思うわけです。

東京に居座り続けている香具師の感想です(^ ^:)

なんかわかる気がします。
実際地元帰ってもあまり居場所もないし、なんか変わっちゃってるって感じがするし。
ホンマにたまに帰るか帰らんくらいがいいのかもと思ってしまいます。
俺は今東京近郊に住んでるけど、大学が関西やったから当時築いた人脈は向こうだし、未だに何となく生活の基盤は神戸にあるような気がします。
今のところは仕事関係の人脈以外ほとんどないし、構築していかないとあかんけど、なかなか大変です。

みなさんコメントありがとう!地方出身者と東京生まれと、見方が分かれるところみたいですね☆

>いまさら、地元に戻っても、生活しにくいのが現実なんですよね。
>実際地元帰ってもあまり居場所もないし、なんか変わっちゃってるって感じがするし。

というお二人の感想は、まさに今回、ぼくが肌で感じたこと、そのものです。お二人のご意見を聞いて、ああ自分だけじゃないんだなあと感じました。地元を出てきた人間の宿命なんでしょうか。

しかし一方で、

>人脈って自分が置かれてる状況によって変化しまくるような気がする。…結局は東京にいたとしても、新しい環境に放り投げられると、またゼロから人脈を作っていかないといけませんからね。

という指摘も、やはりとてもうなずけるものがあります。また、会社で働いている身近な人の姿から感じることでもあります。

だとすると、人脈は環境によって決定されるってことなのかな?もし仮に、地元の人脈をずっと保っていたいと考えるならば、地元にも東京にも頻繁に顔を出すこと、どちらにも変わらない生活の基盤を持つこと、これが必要な要素なのかもしれません。現実的にはふつうの人には困難なことだと重いますが(^^;; きっと地方の国会議員のみなさまは、事務所も国会と地元に二つありますし、仕事のためにどちらの人脈も必要でしょうから、地でそういう生活をされているのでしょう。

そうでないふつうの人は、やっぱり自分から意識して関係を続けていくことが大事となるのでしょう。

>学生時代の友人はたとえ関係が疎遠になろうが途絶えることなく、細く長く続けて生きたいと思うわけです。

「去る者は日々に疎く、来る者は日々に親しく」なるのは避けられないとするなら、過去<現在の関係を過去=現在とイーブンに保つためには、それ相応の努力が必要ということなのでしょう。すなわち、地元<東京の関係である現在の生活においても、学生<会社の関係である生活においても、地元の関係、学生時代の関係を維持するためには、自分から積極的に連絡を取り合っていくことが重要なんでしょうね。それができるかできないか、自分の意志・意識にかかわるところでしょう。

みなさんのコメントで、とてもおもしろい記事になりました。どうもありがとう!ぜひまたお互いに語れる機会があったらいいね!(きっとそういう機会を積極的に作っていくことが大事なんだね(^^;;)

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