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 アルジャジーラで中東を見る。

イラクでの人質事件が起きたとき、ぼくはかなりの時間をパソコンとテレビの前で過ごした。何か新しい情報はないかと常にテレビのチャンネルを回し、つなぎっぱなしのインターネットでいろんなニュースのサイトをずっと回っていた。

その中で、中東の衛星テレビ「アルジャジーラAljazeera」のホームページ(英語版)に出会った。お気に入りに追加して、今でもときどきチェックしている。最近はいつ見ても、トップの記事はほとんどイラク関連の話題だが、速報性が高く、かなり頻繁に更新されている。また、日本では報道されないような、現場の生々しい写真(たとえば、爆撃の被害にあって病院に収容された子どもたちの写真。このような写真・映像は日本ではまったくといっていいほど報道されない。)が掲載されていることもある。(ちなみに、テレビではもっと生々しい映像が放送されている。)

ぼくが特に注目したいのは、すべての記事と情報が中東(アラブ)の視点から書かれているということだ。日本のメディアともアメリカのメディアとも報道の仕方がちがう。ぼくが英文の記事を細かく読めるわけではないが、単語の選び方・使い方が若干異なっているように思われる。

たとえば、日本語の「武装勢力」は、英語では「resistance」か「terrorist」と言うと考えられるが、どちらの単語を用いるかで両者の意味は決定的に異なる。また、アメリカの活動は日本語では「占領Occupation」ということばで表現されているが、アルジャジーラのサイトでは「Invasion」となっている。「占領」ではなく「侵略」である。もはやアメリカの活動がイラクの人のためになっていないということを、はっきりと示しているのではないか。(日本の自衛隊の活動は、日本語では人道復興支援といわれているが、軍服を着た自衛隊の活動が、イラクの人の要望にこたえていないとすれば、それが「占領」になり「侵略」になる可能性もあると思われる。)

また、ホームページには、「Cartoon」(風刺漫画)というコーナーがあり、ここも2〜3日に一度、更新されている。(ホームページの一番左下。)

この漫画も大変興味深い。まさにアラブの視点から、昨今の中東情勢をどう評価しているのか、これを実に端的に表現している。(ただ、「んん?」と考え込んでしまうような、高度な背景知識を要求する漫画もあり、アラブやイスラムの事情に詳しくないと理解できないものも多い。ぼくも理解できないものが多くあります。)

今回の漫画はタイトルが「The Flag Raisers」。(今回のものは大変わかりやすいです。)
アメリカを建国したときのように、イラクでも(「Iraq invasion」でも)アメリカ軍が星条旗を立てようとしているが、なかなか立たない。何度やっても立たない。なぜかと思ったら、下から「Iraqi Resistance Groups」が押しかえしている。

自分なりにこの漫画を解釈すれば、イラクでの戦争が開始され、ブッシュ大統領の戦闘終結宣言が出されて、もう一年がたとうとしている。アメリカ軍は、イラク各地でアメリカの旗を立てているが(「占領」政策を進めているが)ほとんどうまくいっていない。それはイラクの一般民衆の支持を得られていないからである。特に、下の洞くつのようなところから旗を突き上げているのは(抵抗しているのが地下にはびこる謎の地下組織という意味ではなく)上から強引に押さえつけようとするアメリカ軍に対して、イラクの全土に草の根のように広がっている(目には見えず地下にはりめぐらされている)人々の意識(つまり下からの意識)が、アメリカの「Invasion」をまったく受けつけずはねかえしている、という現在のイラクの状況をあらわしている。というようなことを、この漫画は言っているのではないかと思う。

いずれにせよ、アルジャジーラのサイトを見ることによって、日本のニュースともアメリカからのニュースとも距離を置いてイラクを見ることができるようになった。アルジャジーラの記事もチェックすることで、より「事実」に近いこと、問題の「本質」を知ることができるような気がしている。(最近の日本のニュースではイラク関連の話題はどんどん減ってきていますが)、写真を見て「うゎー、これはひどい!」と思ったり、漫画を見て「はぁ〜、なるほどねぇ〜」と思ったり、日々のニュースを別の視点から見ることができ、たいへんおもしろく感じている。イラクの情勢は決して他人事ではないし、楽観視できるものでは到底ないが、自分が入手することができるさまざまな情報を多角的に評価し、判断する能力こそ、これからの時代を生きていく人ひとりひとりに求められている力だと思う。

(なお、残念ながらアラビア語が読めないので、同じ漫画がアラビア語版のホームページから見られるかはわかりません。)

アルジャジーラ 英語版ホームページ
http://english.aljazeera.net/HomePage

コメント

メディアや情報の話ですね。
ほんとに僕もメディアというものをどう見ていけばいいかというのはとても大きな問題のように感じられます。
海外メディアでは日本ではまったく出てこないような米批判の記事だとかあるわけですからね。
このように、ネット環境が整備され、様々な情報にアクセスしやすくなった今日は、ふじたの言うとおり一人一人が多様なメディアにアクセスして今日の状況を判断するということが問われると思います。
フリーのジャーナリズムだとか、よほど内容深いメディアがネット環境では存在出来ているのですから。

アルジャジーラでは、Invasionだとか、英単語の選ばれ方が違うのですね。そうそう、言葉を使うってことは物事を分節するってことですもんね。そして、この場合どういう枠組みで切り取るかの問題になり、「事実」をメディアがどう伝えるかに直結するわけですね。
国語の文章でよく出てきた「虹は日本では七色だが、他の国では違う」みたいな。色をどういうレベルで区切って赤色というか、いやそれとも、だいだい色というのか、それともどっちも赤色なのか。
これに似た話で、武装勢力を「テロ」というのか「レジスタンス」というのか、「事実」に対して既成のどの言葉を当てはめ「解釈」するのか。ほんと言葉の選び方一つで「事実」の「解釈」が左右されるんですから、メディアは伝え方によっていくらでも人々を扇動出来るといっても過言ではないですよね。
そしていくら「客観」的に伝えようとしても、どこまである論とその反対の論をを伝えるか、どこまで双方の論の根拠を伝えるか、その順番は、だとかで変わってきて、「客観」ということなど難しすぎるわけですよね。
そして同じ意見があちこちのメディアで言われていたら、人は「そうなんだ」とその意見を確信してしまうものですから。意見でなく「事実」でもそうですね。
そして物事には「客観的な事実」なんてそう存在するものではなく、どうしても解釈の枠組みに当てはめて捉えられるわけですから。

受け取る側も受け取る側でその「見方」で「解釈の仕方」も違ってきますからね。
このアルジャジーラのカートゥーンだって、どのような「風刺」なのかといえば、アルジャジーラはイラクOccupationをInvationと捉える「見方」をするのだという知識とともに見ることでふじたのような解釈に至りそれが正当となるのでしょう。ここにはこちら側が見方をあらかじめ設定しているという事実があると思います。
ある事実を捉える場合、受け取る側の「見方」「解釈枠組み」が先行してみているという部分があるから受け取る側の「客観性」ということも重要なんですよね
で、所詮メディアも伝える側である前に受け取る側であったわけだし、客観的に報道するということが難しいことを考えても、こちら側の責任というか、最終的な受け取る側である僕ら一人一人が受け取り方を考えなきゃいけないという結論に至るわけですよね。
で、しかも僕ら自身受け取る側の「主観」「見方」も先行してあることが免れないとすれば、いろんなメディアで多様な意見、論を掴み取って判断するしかないかなということですね。ということで、多様なメディア媒体から情報、知識を得なければって結論に至ると思います。(このような主観や客観の話はフッサールの哲学「現象学」が言うところのものです)


ふじたのカートゥーンの受け取り方もおもしろいですよね。抵抗しているのはレジスタンス部隊そのものと考えるのではなく、人々の「意識」という目に見えない本当の力こそなんだという捉え方をするというのは。僕としては(土の下からレジスタンスが出てくる前には)結局アメリカの旗はイスラム圏の土壌には合わないという宗教、文化の違いを言っているのかと思いました。イスラムで民主主義、自由主義という欧米キリスト教圏から始まる近代化がなされたところはほとんどないですからね。このようにさらに解釈すること自体は有益ですから。その前にいろんな「解釈枠組み」というか、「見方」というものを自分の中で相対化して判断をした上での深い捉え方ですよね。


やはり物事を捉えるにはいろんな知識なり、価値観なりの前提を蓄えておかなければすぐ扇動などされてしまうということを今回の事件は物語っていたのでしょうね・・・


「メディアリテラシー」という名の「自己責任」ですか。。。
(おっと微妙に違う話だ。)

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