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 パソコンでレポートを作ることの功罪。

最近、英語でレポートを書く機会がすごく増えた。週に3コマの英語の授業はなかなかきついものがある。4月からほとんど英語の授業づけ、とりわけ、授業で出される宿題におわれる毎日を送っている。

レポートを書くといっても、一昔前と違って、ほとんどすべての学生がパソコンでタイプして、印刷して提出する。パソコンを持っていない学生は、ぼくのまわりにもちらほらいるが、大学のIT環境が非常によく整っているために、自分のパソコンを持っていなくても、パソコンを使える学生は多い。使えるだけでなく、多くの学生はパソコンに慣れ親しみ、使いこなしている。ぼくも今日は大学のパソコン室から書いている。

ワープロソフトが普及してきたときに、これからは「漢字が書けない」ということはなくなるが、「正しい漢字がわからない」ということが増えてくるだろう、といわれていた。正しい漢字に変換する能力、正しい漢字を選択する能力を身につけることが重要になってくるといわれた。いまでもその重要性・必要性は変わっていないと思う。

ぼくは、英語のレポートも、ワープロソフトで作成している。以前は、英語の場合は手書きのほうがはやかったが、英単語を打つ機会が格段に多くなり、打つことにもなれてきたため、スピードはそんなに変わらなくなった。それに、以前と比べてかなりパソコンに依存した生活を送っているため、その便利さから離れられなくなっていることもある。

英語の文章をワープロソフトで作成していて、いくつか気づいたことがある。
まず、スペルのミスがあったとき、ソフトが自動的に正しいスペルに直してくれる。スペルがまちがって入力された単語でも、いくつかの修正候補がある場合は下線が表示される。スペルがあやふやな単語を「てきとうに」入力しても、勝手に直してくれるため、大変便利である。スペルのミスは減点対象だったが、もうそんなこともなくなった。

ただこのままパソコンに頼りつづけていては、結局、正しいスペルを覚えないままになってしまう。作文の下書きなどは、手で書くことが多いのだが、かなり適当なスペルで書いている単語もある。実際に手で書く機会はほとんどない。
これは、英語の授業を受けるときに、大きな妨げとなる。授業中に先生が言っていることを書き取るだけでも、かなり手いっぱいであるのに、スペルがわからずに確認したりしていると、そのために時間を取らなくてはならない。一方で、講義はどんどん進んでいって、気がついたら追いつけなくなっている・・・という悪循環におちいる可能性がある。
現在の大学での英語の授業は、向こうの大学で、英語で勉強するための技術を学んでいる授業であるので、英語での実際の授業はどんな感じなのか、想像の域を出ない。書き取り(ディクテーション)の練習のためには、中学のときのように、一日一ページの宿題をやったほうがいいのかもしれない、と思うほどである。

日本語でも同様である。最近、とみに「読めるけど書けない漢字」が増えてきた。講義のノートを取っていると、「あれれ?」と思うことが多い。頭には字が浮かぶのだが、正しく書けない。これもパソコンで文章を作ってばかりいるからだろう。実際に手で書かないと漢字は覚えない、ということを久しぶりに痛感させられた。そういう意味では、小学校のころの漢字ドリルは大きな効果をもっているということだろう。

いずれにしても、文章を手で書く機会は、パソコンの普及によって大きく減ってしまった。最近では、ノートパソコンで、授業のノートを取る学生も(ごくたまに)いる。この流れは、いくらあらがっても止めようのないものであると思う。そういう意味では、パソコンでも手書きでも正しくちゃんと書けるように、常に心がけていたい。

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