発表済みの原稿など

「本土からの人間」は、「本当にありがたい」のか 〜沖縄を訪れて感じたこと・考えたこと〜

●「本土からの人間」は「本当にありがたい」のか

 「わざわざ「本土」から、沖縄に関心を持ってもらって、お金も時間も使って現地まで足を運んでもらって、本当にありがたい。」

 2015年12月下旬に、1週間ほど沖縄を訪れた。辺野古での抗議活動に参加することや、普天間や嘉手納、高江や伊江島などの現場に行くことが主な目的だったが、滞在中、様々なところで、同趣旨の「御礼」を言われた。

 「家族を置いて、移住してきてくれている人もいる」
「辺野古基金も7割が本土の人からだと聞いている」
 「来てくれることには本当に感謝している」

 しかし、「本土からの人間」は、「本当にありがたい」存在なのか。

 「沖縄の人だって関心を持たない人が多いのに」という前提を伴う場合、たしかに、沖縄に生活する全ての人が、新基地建設に反対しているわけでもなければ、そもそも関心を持っているわけでもないと考えられるため、一定の説得力はあるように感じられる。

 だが、ゲート前での抗議に参加しているある人はこう言った。

 「もう豊臣秀吉の頃から、ずっと同じことが続いてるんだよな」

 沖縄に国の安全保障の多くの部分を負担させている現状、さらに、この現状に至らしめている数百年間の歴史、そして歴史を引き継ぎ、その現実に無自覚・無関心のまま生活できるという立場、また、そのような政権を選び現状追認に加担していることへの責任を踏まえるならば、「本土の人間」はとても「ありがたい」存在ではないし、そう言われても、額面通り受け取るべきことではない。

 「安倍政権は、沖縄の人が言うことは全く聞かないが、「本土」の人が関わってくれることで、聞く耳を持ってくれるのでは?」

 との意見にも何度か出会った。たしかに県外にも、関心を持つ層を広げていくことは不可欠で、その裾野を広げていくことは、世論の形成に非常に重要な役割を果たすことは間違いない。

 だが、安倍政権自体が、世論がどうあろうとも、これまで意のままに政策を押し進めてきたという経緯を踏まえれば、そもそも人の話を聞く用意がない、と言うべき状況にあると言わざるを得ない。従って残念ながら「本土」の人が言えば届く、という段階ではないだろう。(ただしこの点はむしろ、沖縄以外の地域での活動のあり方・進め方にかかっているとも言える。)

 「来てくれてありがとう」は、素朴な親切心からわき出たことばであろうし、頭から否定したり、反論すべきことでもないとは思う。だが、自分自身の立場や立ち位置、そしてその意味に、どの程度自覚的であることができるか、それがむしろ問われているのではないだろうか。

●「米兵ドーナツ事件」

 活動のあり方を考える上で、非常に興味深い「事件」に遭遇した。

 「Merry Christmas!」

 12月25日の午後、キャンプシュワブのゲート前テントに突如として、複数の米兵が現れ、「Merry Christmas!」と言いながら、テント内の人に対して、ドーナツを差し出し始めた。

 突然のことにテント内は騒然とし、慌てふためいた。「これ、受け取っていいの?」と誰もが戸惑った。テント内の集会で、スピーチをしている最中であったことから、マイクを持っていた人は、声を荒げながら「出て行け(Get out here!)」「国へ帰れ(Go back your country!)」「ノーサンキュー!(No thank you!)」といったような言葉を、くり返し叫んだ。それでも米兵側はドーナツを受け取ってもらおうと、繰り返しいろいろな人に差し出していたが、誰も受け取ることはなかったため、雰囲気を察したのだろうか、しばらくして立ち去っていった。「Merry Christmas!」と言いつつも、宥和的な雰囲気はまったくなかった。基地内から写真を撮っている人の姿も見え、誰がどのような意図で、テントにドーナツを持っていくよう仕向けたのか、真相はわからない。ただ単にクリスマスを祝うだけのつもりだったのか。疑念は強まるばかりであった。

 この「米兵ドーナツ事件」からは、いくつもの「現実」が浮かび上がる。

 まず、テント側の対応も、決して適切だったとは言い難い。

 何よりも、発せられた英語は、いずれも怒声・罵声というべき表現に近く、かなり強い調子の怒りを表しており、かつ命令口調であった。「入ってこないでほしい」「出て行ってもらいたい」「いらない」という趣旨の表現としては、必ずしも適切とは言えない。場合によっては言われた側が逆上し、反論・反撃に及ぶ可能性もあり得た(その意味では、米兵はよく耐えたと思う)。もっとも、とっさの場面で適切な英語を話すためには、それなりの訓練が必要であるし、フレーズの選択にも知識や経験が必要であるため、この状況下での適切な対応を求めることは酷に過ぎるだろう。

 しかし、だからといって、追い払うことが適切だったのか。

 ゲート前のテントに集う人たちの多くは、「基地」や「米軍」、あるいは「政府」や「国」を問題視しているが、問題化することは必要であっても、その中で動くひとりひとりの人間は多様であって、様々な思いや考え方をもっている。問題化するプロセスの中で、その制度やシステムのひとつひとつも、すべて人間が担っているという事実を見失っているのではないか。また、むしろ制度やシステムを改善していくためには、中で動くひとりひとりの努力こそ、必要・重要であって、最前線に出てくる個人を、必要以上に糾弾し追い詰める必要はない。テントに現れた米兵個人もシステムを担う一存在に過ぎない。相手を一方的に敵視しているだけでは、状況は変わらないし、最前線でこそ、共闘の可能性を探るべきである、とする意見・議論もあり得るだろう。

 (もちろん、組織やシステムの枠組みから出ず、その維持に奔走する個人も責任の一端を担っている、と指摘することはできる。ただし、組織の中で、個人が多様な意見を表明したり、実現したりする機会や場が確保されているかという問題もあるし、誰もがリスクを冒してまで、自由に個人の意見を表明できるわけではないだろう。)

 だが、何の前触れもなく、突然テントに現れ、ドーナツを差し出す行為もいかがなものか。

 「ドーナツをあげるから、テントをたたんでください」「ドーナツでもたべて、少しは静かにしてください」など、何らかの意図があるとの印象を相手に与えるし、仮に意図がなかったとしても、素直に受け取ることは難しいだろう。基地内から写真を撮っている人の姿も見え、米軍の広報用に使われる可能性も否定できない。私服でプライベートな立場で来ていたとしたら、まだ話す余地はあり得たかもしれないが、どう見ても軍服であった。米兵の間近に接し、階級章を目撃した人からは、下士官ではなく将校クラスではないか、との話もあった。

 ゲート前のテントに集う人たちは、米兵がコミュニケーションを図るべき相手なのか、という疑問も残る。ゲート前のテントは、辺野古への新基地建設に反対する拠点であって、対立が最も先鋭化している最前線であることは疑いない。そうした「渦中」に、あえて米兵が飛び込んでくる必要があったかどうか。

 辺野古地区の住民とキャンプシュワブの米兵が、運動会やお祭りなど、お互いの行事に参加し合うことで交流を深めていることは、映画や報道を通じて知られている。しかし、テントに集まる人は地区の住民でない人が大半で、事情は大きく異なる。米兵と交流したい、交流する必要があると考えている人は、おそらくほとんどいないのではないか。米兵が何らかの誤解をしていた可能性もある。

 この点についてテント内のある人は、「(戦後直後の)ギブミーチョコレートを思い出す」と話していたが、それほどまでに米軍・米兵に対する拒否感や抵抗感が強い、そのため、コミュニケーションを図るべき相手ではない、その必要性を感じない、という人もいるだろう。このような場合は、そもそも対話が成立する余地がない。実際に沖縄戦で家族や友人を失い、戦後も米軍に占領されたままであるという歴史的経過も踏まえれば、およそ対話で解決できる、などと考えることはできないだろう。もっともなことだと思う。

 また、米兵もいきなりテントに入り込んでくるのではなく、テント側の責任者とあらかじめ相談することや、英語のできる人(もしくは通訳)を通じて、事前のコミュニケーションを図ることも可能だったのではないか。

 この一件は、地元紙を含め、メディアで報道されることはなかったが、ゲート前テントと米軍・米兵の距離感や認識の差を、図らずも象徴的に、かつ明白に示した事件として、私には大変興味深く感じられた。お互いにどのような思い・意図があれ、コミュニケーションが図れなかった、成立しなかったという点においては、残念であったとも言える。どちらが悪かった、と言うべきことではないようにも感じている。

追記:この数日後、伊江島のわびあいの里(反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家)を訪れ、阿波根昌鴻の「陳情規定」を知った。今回の「米兵ドーナツ事件」に即して考えるならば、テント側の対応はどれも、この「陳情規定」に背くものであったと言えるかもしれない。60年以上も前に、対応の処方箋が示されていたことに驚きを禁じ得ないが、一方で、同時にそれは、60年以上も同じ構造の対立が続き、くり返されていることの証左でもある。参考までに引用しておきたい。

陳情規定
1、反米的にならないこと。
1、怒ったり悪口をいわないこと。
1、必要なこと以外はみだりに米軍にしゃべらないこと。
1、会談のときは必ず坐ること。
1、集合し米軍に応対するときは、モッコ、鎌、棒切れその他を手に持たないこと。
1、耳より上に手を上げないこと。(米軍はわれわれが手をあげると暴力をふるったといって写真をとる。)
1、大きな声を出さず、静かに話す。
1、人道、道徳、宗教の精神と態度で折衝し、布令・布告など誤った法規にとらわれず、道理を通して訴えること。
1、軍を恐れてはならない。
1、人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること。
1、このお願いを通すための規定を最後まで守ること。
右誓約いたします。
 1954年11月23日       真謝、西崎全地主一同(署名捺印すること)

*なお、阿波根昌鴻の思想や伊江島の歴史については、メールマガジン「オルタ」141号『沖縄の地鳴り 伊江島米軍基地と沖縄のガンジー阿波根昌鴻の非暴力闘争』(2015.9.20)も参照されたい。 http://goo.gl/sp2Bz4

● 今後、どのような活動が求められるのか

 現在、辺野古への新基地建設をめぐって、いくつもの訴訟が同時進行しているが、辺野古での工事は止まる気配がなく、現場でもしばらくは厳しい衝突が続くものと思われ、全く楽観することはできない状況にある。また、そもそも司法に期待できるのかどうか、はなはだ心許なく、不安と不信は小さくない。

 私自身、究極的には政権交代を含めた政策の転換が欠かせないと考えている。ただし、そこまで至らずとも、内閣の構成が変わることは、ひとつの大きなきっかけになり得ると思われる。とはいえ、いずれもいつ実現できるかはわからない。

 そこで今必要なことは、安倍政権に対する包囲網を形成し強めていくとと同時に、現場での直接の抗議行動によって、時間と日数を稼ぐ、という「二正面作戦」を今後も継続していくことではないかと考えられる。

 東京での活動を念頭に、具体的には、次の5点を提起したい。

・ 現地に行く・・・現地の状況を知ることはもちろん、ゲート前での座り込みにもぜひ参加してもらいたい。1日でも工事の進行を遅らせることは、新基地建設にかかる全体のスケジュールにも大きな影響を与える。特に毎週水曜日と木曜日は「大結集」の日で、県の内外から数百名が集まって工事の進行をくい止めている。ひとりでも多くの人が集まることは非常に重要である。

・ 東京での様々なイベント、あるいは団体に参加する・・・東京でも様々な団体が、沖縄に関するイベントを開催している。2月には国会包囲行動も予定されている。東京での活動を盛り上げていくことは、沖縄との強い連帯を示す機会であるとともに、安倍政権に反対する意思を明確に示す機会でもある。やはりひとりでも多くの人に参加してもらいたい。

・ 話題にする・インターネットで発信する・・・身近な人や周りの人と沖縄について、新基地建設について話題にすることは、重要な活動の一環と考えることができる。インターネットでの発信を通じて、地道に関心の輪を広げていくことも同様に重要だろう。そうした活動の積み重ねが、ゆくゆくは多くの人をまきこんでいくことにつながっていくものと考えられる。

・ 映画や書籍、ニュースから情報を得る・・・沖縄タイムスや琉球新報はもちろん、東京のメディアでも折に触れて沖縄に関するニュースを発信している。また、個人のブログでも、詳細な状況をていねいに知らせている方もある。ぜひ定期的なチェックをお願いしたい。また、沖縄や基地をめぐる問題を題材にした映画や書籍は数多あるが、興味を持ったものからひとつひとつご覧いただくことで、ぜひ理解を深めていただきたい。

・ カンパする・・・多くの活動団体では、カンパを受け付けている。資金の不足は活動団体にとっては恒常的な課題であって、それが活動の質や規模に直接的に影響してしまうことも、残念ながらよくあるパターンであると言わざるを得ない。「お金を出すことぐらいしかできなくて・・・」と(ネガティブに)おっしゃる方もあるが、お金の使い方を変えていくことは、市民活動のもっとも基本的な第一歩であると考えられる。ぜひご協力をお願いしたい。

● 謝辞

 今回の訪問は、たくさんの方々のお力添えをいただいて、実現することができた。滞在期間中にも様々な方にお世話になっただけでなく、事前の情報提供や新たな現地での出会いにも恵まれ、わずか8日間の滞在であったが、大変充実した時間を過ごすことができた。改めて御礼申し上げたい。

(メールマガジン「オルタ」2016年1月号所収 http://www.alter-magazine.jp/index.php?go=uakoSJ )

「安保法制」はおかしいです。

「飛んできた爆弾で、隣にいた人は吹っ飛んじまったんだ」

「空襲でこの辺りは全部焼けてしまって、遠くの駅がここから見えたんだよ」

「あんな大きな国と戦争をして、勝てるはずがないと思ったね」

 他界した祖父母の顔が目に浮かぶ。しかし、私が受け継いだ戦争体験は、実際にはごく限られた一部にすぎない。昔のつらい経験を、あえて聞くことができなかったし、祖父母もすすんで話してくれたわけではなかった。

 だからこそ、私たちの世代にとって、戦争とは歴史上の話でしかなく、現実感のないできごとになってしまっているのではないか。そしてそれが、現在の政治状況をもたらしているのではないか。

 このままで本当にいいのだろうか。自分の思いを形にすることが、社会を変える一歩であると考え、私は安保法制に反対するデモや集会に、何度も足を運んだ。

「デモや集会に行って何になるの?」

 たしかに何万人が集会に参加し、国会を包囲し、デモで訴えようとも、限られた影響しか与えられないのかもしれない。私も諦念と無力感に苛まれている。冷笑する同世代の友人は少なくないが、そうした「傍観者」的姿勢こそが、今の政権を支え、勢いづかせているのではないか。

 そう考えると、「傍観者」たちを巻き込んでいくことは、残されている可能性のひとつであるようにも思われる。まだまだできることはある。

 このままでは祖父母に合わす顔がない。安保法制が成立し、いよいよ日本が戦争をする立場になったとき、祖父母は私に何と言うだろうか。

(2015年7月3日号)

藤田裕喜(ふじたひろき)
1982年生まれ。愛知県出身。学生時代から、朝鮮学校や性的マイノリティをとりまく問題に取り組んでいる。(写真提供/藤田裕喜)

*こちらからもご覧いただけます
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=5312

「千里の道も一歩から」 ~セクシュアル・マイノリティと「ヘイトスピーチ」をめぐって

「千里の道も一歩から」 ~セクシュアル・マイノリティと「ヘイトスピーチ」をめぐって

レインボー・アクション 藤田裕喜(ふじたひろき)

「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない気がする」「遺伝とかのせいでしょう」「マイノリティで気の毒ですよ」

私たちの活動の発端となったこの発言は、2010年12月、国や都が主催する「人権週間」の最中に、当時の石原慎太郎東京都知事によって、記者会見の場でもたらされた。

当初私たちはこの発言に対して、裁判と解職請求(リコール)の可能性を検討したが、裁判ではすでに、いわゆる「ババァ発言」をめぐって一定の判断基準が示されていたこと、解職請求(リコール)についても、当時の規定では180万を超える署名が必要なことから、どちらも断念せざるを得なかった。

そもそも国際的にも、セクシュアル・マイノリティに対する差別を禁止する条約は未だなく、この発言を問題化するハードルは高い。一般的勧告35にもとづいて検討しても、確かに「上級の公人」によるという点においては、「特に懸念すべきもの」であり、「職務から解くことなどの懲戒的な措置」が必要だが、「唱道や威嚇を通して、犯罪の遂行を含む特定の形態の行為を行うよう影響を及ぼ」す「扇動」とはいい難く、少なくとも法律で処罰すべき「ヘイト・スピーチ」とは考えられない。

とはいえこの種の発言は、日常生活のあらゆる場面-家族や友人との会話、職場や学校、またテレビ番組やインターネットなど-において突如として姿を現し、当事者を不意に差別や偏見、揶揄や嘲笑の対象として貶める。その精神的な苦痛は筆舌に尽くし難く、何ら許容できる要素はない。また、報告された数こそ少ないが、「ヘイト・クライム」も発生しており、問題の根は深い。

こうした状況は、社会の中でセクシュアル・マイノリティの存在が不可視化されていることが根本的な原因と考えられる。一朝一夕の解決は困難でも、この瞬間も悩み苦しんでいる人のことを思えば、一刻の余地もない。その意味では、文字通り「千里の道も一歩から」歩む覚悟で、今後も活動を続けていきたい。