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髪を切りました

【たまには雑談ですw】

「髪型どうしたんスか!?」
「ギリシャ時代の人みたいですねw」
「芸術家みたいだねw」

ここ最近、お会いする方々から、口々にこのようにお言葉をいただいておりました。

昨年末、学生時代の悪友と、酔った勢いで、髪をいつもより伸ばすと約束。最後に床屋さんに行ってから、ほぼ9カ月が経過しました。これまでの人生で、こんなにも髪を伸ばしたのは初めてですw

高校生のころぐらいからだと思うのですが、少なくとも2カ月に1回くらいは床屋さんに行くようにしており、ほとんどの場合、ただ単に短くしているというだけでした。そのことが、悪友によれば「インパクトがないんだよ」というわけで、「じゃあちょっと伸ばしてみるわ」みたいな約束をしたのが発端です。

で、伸ばす約束をした期間(4カ月程度)はとうに経過していまして、おかげさまで、すごいインパクトがある髪型になりましたw 会う人会う人「すごいね・・・」という反応ですw

小さい頃からのふじたを知っている方は、私がきつい天然パーマの持ち主であることをよくよくご存知だと思うのですが、そうでない方には、とりわけ新鮮に映っているようで、その反応こそ、ぼくにとっては新鮮ですw

特に、ご年配の方々には評判(?)がよく、「かっこいいね」「全然違和感がないよ」「かわいいですよ」といったお言葉までいただき、生まれて初めて、自分が「天パー」であることに、誇りと自信を感じました(泣) 本当に得がたい経験でしたw

しかしながら、このまま無造作に伸ばし続けるのもどうかなあと思っていたところ、ちょうど明日、人前でお話しする機会をいただいていましたので、思い切って今日、美容室に行ってきましたw(床屋ではなくて美容室ですw)

髪質とか髪型のこととか、いろいろお話・ご説明をいただきながら、切っていただくというのは初めての経験で、これまでの(殺伐とした)1000円カットのお店とは違って、気楽でしたし、いろいろ勉強にもなった充実した時間でした◎

何カ月も髪を伸ばし続けるのも未知の領域でしたが、美容師さんに素敵にアレンジしてもらうのも未知の領域で、何というか、こんな髪型は初めてですwww

(自分ではめったに使わない)整髪料を使ってもらいましたし、ドライヤーでも整えていただいたこのアレンジを、明日以降も維持できるかどうか(自分で再現できるかどうか)、大いに不安なのですが、せっかくのこの新しい挑戦に、今後も果敢に挑んでいきたいと思いますw

映画『”記憶”と生きる』を観ました。

『”記憶”と生きる』、少し前(7月13日(火))ですが、行ってきました◎

http://www.uplink.co.jp/movie/2015/37458

映画のほとんどの映像が、今から約20年前、1990年代のもので、出ていらっしゃる方は、どなたもすでにご存命ではない。そのことがまず衝撃でした。

また、ひとりひとりの声、人生にしっかりと向き合った映像は、大変な迫力があります。ナヌムの家での日常生活の風景、とりわけ生活上のトラブルや衝突までもきちんと記録されており、「日本人」の「男性」である監督の立場を超えて、信頼を得ていることも、よくよく伝わってきました。

まさに今、歴史修正主義の大合唱の中にあって、「なかったこと」にされようとしているこの存在に改めて着目し、こうして映画として上映されることは、とても重要な意味があると感じています。3時間を超える大変な作品ですが、行ってよかったです。そして、もっと多くの人に知ってもらいたい、そう考えて、こちらでもお知らせする次第です。

東京での上映は今月いっぱいです。まだの方はぜひ!

「安保法制」はおかしいです。

「飛んできた爆弾で、隣にいた人は吹っ飛んじまったんだ」

「空襲でこの辺りは全部焼けてしまって、遠くの駅がここから見えたんだよ」

「あんな大きな国と戦争をして、勝てるはずがないと思ったね」

 他界した祖父母の顔が目に浮かぶ。しかし、私が受け継いだ戦争体験は、実際にはごく限られた一部にすぎない。昔のつらい経験を、あえて聞くことができなかったし、祖父母もすすんで話してくれたわけではなかった。

 だからこそ、私たちの世代にとって、戦争とは歴史上の話でしかなく、現実感のないできごとになってしまっているのではないか。そしてそれが、現在の政治状況をもたらしているのではないか。

 このままで本当にいいのだろうか。自分の思いを形にすることが、社会を変える一歩であると考え、私は安保法制に反対するデモや集会に、何度も足を運んだ。

「デモや集会に行って何になるの?」

 たしかに何万人が集会に参加し、国会を包囲し、デモで訴えようとも、限られた影響しか与えられないのかもしれない。私も諦念と無力感に苛まれている。冷笑する同世代の友人は少なくないが、そうした「傍観者」的姿勢こそが、今の政権を支え、勢いづかせているのではないか。

 そう考えると、「傍観者」たちを巻き込んでいくことは、残されている可能性のひとつであるようにも思われる。まだまだできることはある。

 このままでは祖父母に合わす顔がない。安保法制が成立し、いよいよ日本が戦争をする立場になったとき、祖父母は私に何と言うだろうか。

(2015年7月3日号)

藤田裕喜(ふじたひろき)
1982年生まれ。愛知県出身。学生時代から、朝鮮学校や性的マイノリティをとりまく問題に取り組んでいる。(写真提供/藤田裕喜)

*こちらからもご覧いただけます
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=5312