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「日韓学生フォーラム」がもたらしてくれたもの

10月の初めに、私が学生時代に所属していた日韓学生フォーラムという団体の、「OB・OG総会」が開催された。

 2年に一度開かれている総会は、日本と韓国とで順番に開催されており、今回は日本開催。日韓の学生による学術的な交流を主眼とした同団体は、今年で設立29周年を迎える。日韓それぞれに20名ほど参加するメンバーは、基本的には単年度ごとに入れ替わることとなっており、私はそのうち22回目のフォーラムに参加した。

 日韓学生フォーラムの最も重要な特徴のひとつに、日韓の学生がお互いに英語でコミュニケーションをはかることにある。

 参加者の英語力は、帰国子女や留学経験者がいる一方で、学校教育で習っただけという学生も少なくなく、その英語力は人それぞれでばらつきがある(もちろん英語によるディスカッションも事前の準備として勉強・練習する機会は設けられている)。しかしながら、重要視されているのは、各自が各自のできる範囲内で、自分のことばで対話するということだ。当時韓国語を全く勉強していなかった私は、その点に強く惹かれ参加を決めた。(もちろん韓国語のできる日本の学生や日本語のできる韓国の学生も参加していたが、それでも「公用語」は英語と決まっていた。また、「公用語」が英語であったとしても、通訳を介したコミュニケーションの意義を否定するものではない。)

 2週間あまりの日程の中で、議論する時間もあれば、フィールドワークに出かける時間もある。文化交流の時間や、飲み会の時間も多くある(というか飲み会の時間がたぶん一番長いw)。話題も当然に多岐にわたり、政治経済、社会問題、歴史、文化、教育など、枚挙にいとまがない。その「思い出」は語り尽くせない。交わされた会話や議論のひとつひとつが、いまだにありありと思い出される感覚すらある。

 そして、日韓のメンバーのそれぞれが、大学を卒業し、就職をしてそれぞれの道に進んだ今も、再会できることは貴重という他ない。

 今回のような公式行事以外でも、韓国のメンバーの誰かが日本に来ると言えば、日本のメンバーは予定をやりくりして人を集め会を設けるし、同様に、日本のメンバーが韓国を訪れると言えば、韓国のメンバーが再会の場を設けてくれる。私も大学を卒業してから、何度となく韓国を訪れているが、そのすべての機会で、必ず韓国のメンバーにお世話になっている。大変ありがたいことだと思う。

 また、当初は勉強する気すらなかった韓国語も、交流が深まるにつれて、さらに本音のコミュニケーションをしたいと思うようになり、勉強に着手するまでに至った(が、まだコミュニケーションができるレベルには至っていない・・・。今回こそ、韓国語を勉強しない言い訳を最後にしたい・・・。)

 そしてさらに重要と思われることは、冷えきった二国間関係と言われて久しく、様々な問題・課題が両国の間に横たわっているという状況を前提としながらも、多くの友人たちが同じ時間をともに過ごすことができる、対等に議論ができるという事実とその関係性だろう。それは、英語による等身大のコミュニケーションによって培われたと言っても過言ではない。直接、本人のことばによって、本音のコミュニケーションができているということ、それが、現在に至るまで続く、信頼関係の基礎となっているということができるだろう。

 たとえ日韓関係が冷えきっていようとも、変わることのないだろう関係と、お互いの将来を展望し確認することができた大変貴重で重要、かつとても楽しい機会であった。次回の韓国での再会を楽しみにしている。

 Last month I reaffirmed the value of our long lasting relationships with the members of Japan-Korea Student Forum. Even though both countries are recentry in a difficult situation at least politically, we could meet, talk, discuss and drink as we did when all of us were students. That is truly based on our trust built during the forum. From my point of view, larger part of that relationship is established by the communication in English. I believe this indispensable grass-rooted relation makes our future and both countries’ future. Strongly looking forward to seeing members in Korea.

誕生日のメッセージをいただき、ありがとうございます!

30歳の誕生日にあたって、様々な方からメッセージをいただき、大変感謝しています。改めましてありがとうございます。

これからも引き続き、自分の道を進んでいきたいと思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願いします!

ふじた
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Thanks again for kind messages for my 30th birthday!

I promise that I’ll keep on trying everything!

Best regards.
Hiroki

「三十にして立つ」

本日、おかげさまで30回目の誕生日を迎えることができた。
「いよいよ30歳か…」と(ある意味大台に乗った?と)感じるところもあり、確かに実際には1つ年をとっただけだが、それ以上に意識面での違い、または変化のようなものを感じている。

そう感じる理由の一つは…、

 「三十而立(三十にして立つ)」(孔子『論語』為政篇)

かな…?と思い、この機会に少し考えてみることとした。

 インターネットで調べてみると、実に様々な解説・解釈・考え方があることが(今更ながら)わかる。

 一例を挙げてみると・・・

 ・三十歳になって独立した立場を持つ
 ・三十歳になり,精神的に自立する
 ・三十歳で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した
 ・三十歳で自己の見識を確立し、独立する

 といった感じで、同じようなことを言っているようでも、実は解釈に割と幅があり、それぞれの単語・言葉の定義づけ・意味づけも、上記の例の中でも微妙に異なるように思われる。

 そこで敢えて、「自分の生きていく方向性を確立し、その道に突き進むことを決めた」と私なりに勝手に解釈をしてみたいw

 2年ほど前からずっと感じていた「このまま安穏と30歳を迎えてもいいのだろうか?」「他に進むべき道があるのではないだろうか?」という漠とした不安感と不満感から、ちょうど1年半前に退職を決めた。
 当時は進むべき方向性が定まっていたわけではなかったが、この間、様々に悩み考え、また人との出会いの中で刺激を受け、思う方向を模索しながら過ごしてきた結果、曲がりなりにも自分の生きていく方向性は(少なくとも現時点で判断するに)定まってきているように感じている。

 そう考えてみると、私にとって「三十にして立つ」とは、さらにこれからも自分の進むべき道を極め、まい進していくための、言ってみれば、ひとつのきっかけとすることができそうだ。
これからもご覧のみなさまには様々にご迷惑をかけ、お世話になることばかりと思いますが、ぜひこれからもお力添えをいただければ大変ありがたい限りです。どうぞよろしくお願いいたします。

 なお、(決してささやかではなかったが)30歳の誕生日に自分へのプレゼント。

MacBookAir

9年半にわたってずっとお世話になってきた、Windowsのパソコン(SHARP Mebius)をそろそろ卒業しようかなと考え、MacBookAir(11インチ)を購入。軽くて薄いし、外でもインターネットができるようになるので、さらなる時間の有効活用を図っていけると確信している。

(*ちなみに、まだ使い始めて数日しか経過していないが、MacからWindowsへの移行は非常にスムーズで、特別な設定など、ほとんどないまま同じように使えています。昔ほど(←私の勝手なイメージかも知れませんが?)、MacとWindowsの違いや差はなくなってきているように感じます。)